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第13日 矢倉沢〜足柄(その2)

                     (歩いた距離 13.4km    03.02.01)

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 足柄峠に着く。

 日本武尊が東征の折、相模半島から上総へ海を渡ろうとしたとき、
急に海が荒れたので弟橘媛が身を投じて海を鎮め、
上総に無事に着いたという。
 「武尊は任務を果たしその帰路、足柄峠の頂きに立ち
再び見ることがないであろう東の海を眺め、橘姫を思い
『吾妻はや(ああわが妻よ)』と嘆き悲しんだところである」。

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 ここが古代の足柄の関である。

 「足柄の関は昌泰2年(899)、足柄坂に出没した強盗団を
取り締まるために設けられた。」「この峠道の歴史は古く、
鎌倉時代に箱根道が開かれるまでは官道・公道として
利用され、東海道最大の難所であった。」
 この関の門は黒澤明監督の映画「乱」の撮影で使われた
城門のセットを移築したものである。
「旅人がこの石に手をついて、お辞儀をし手形を差し出した」
というお辞儀石が置かれてある。

yagura13-14.JPG  足柄山聖天堂がある。
 弘法大師が足柄山に勧請したもので、
日本三体聖天尊(浅草聖天、生駒聖天)の一つであるという。

yagura13-17.JPG  ここは、足柄城跡でもある。
この城は天文5年(1536)北条氏が伊豆相模を武田氏から
防衛するために築いたものであるが、
天正18年(1590)の小田原攻めで一戦も交えず
家康に城を明け渡したという。

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 現在公園になっていて、山頂から富士山を一望できる。
生田蝶介の大きな歌碑「全貌を裾野まで見せてあますなし
 不二は悠然と天ささげたつ」が建っている。

 富士山に雲がかかっていたのが残念。

 新羅三郎義光の吹笙地之碑がある。
 源義家の弟である義光は、清原武衝が叛いて兵を挙げた後三年の役で奥州に向かう途次
笙を吹いたところという。

yagura13-18.JPG  峠が県境で静岡県にはいる。
 道を下り始めると、六地蔵が屋根をかけられて安置
されていた。赤いよだれかけをつけ、花が飾られている。

 ここにも芭蕉の「目にかかる 時やことさら 五月富士」の句碑がある。
矢倉沢にもあったが、そこは富士山が見えないところなので、
こちらの場所の方がよい。

yagura13-19.JPG  この辺りも上りと同じように、車道から足柄古道にはいる
案内板が整備されている。
 
足柄古道をひたすら下り、JR足柄駅に向かう。

yagura13-20.JPG  草木の茂る急な坂で、途中に「呼ばわり石」「駒止め松」がある。
特に馬頭観音が目につく。赤坂には安永3年(1774)の馬頭観音がある。
 ここは「明治末期までは相模の国から甲斐の国へ海産物を運ぶ
『塩の道』として賑わっていた。
 当時峠越えの輸送は人や馬の背に頼るほかなく、
難所も多かったので荷馬の遭難もしばしばあり、その供養をし
道中安全を祈願したものである。」 

yagura13-21.JPG  「南無阿弥陀仏」の名号塔がある。
 「天保元年(1830)の唯念上人の筆による日本一大きな石碑」である。
この碑文の横に小さく馬頭観音とも書かれてある。

yagura13-22.JPG  長い坂の途中に、土が盛り上げられた竹之下一里塚がある。

 集落に出る。

 その山に沿ったところに嶽之下神社がある。長い参道で境内は広く、小さな祠だけがある。

 足柄駅の近くに、新しい大きな嶽之下神社がある。名前が同じなので、山にあった神社が
ここに移ってきたものだろうか。昭和55年(1980)の「しょうわ」狛犬がいる。

 駅員のいない無人のJR足柄駅に着き、時間調整して乗車し、
松田で小田急に乗り変えて、帰宅。

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